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MarkCorgia
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駄文

環境破壊、外来種、絶滅危惧種。この手のキーワードに事欠かない現代社会において、筆者は常々、周囲の人に自然環境を守ろうと呼びかけている。しかしこういうことを表明すると、時々だが決まって返ってくるのが、それはただの偽善あるいは自己満足ではないか、人間を犠牲にしてわざわざ他の生物を守る必要はあるのか、といったような言葉である。冗談ではない。筆者は確かに、生物多様性の保護、自然環境の維持という考え方に賛同している。しかしそれは対象の生物を憐れんでいるからでも、自然保護というお題目が精神衛生にいいからでもない。

はるか古代から、環境の変動と、それに伴う生物種の発生、進化、移動、競争と共生、隆盛と絶滅は、数限りなく繰り返されてきた。個々の種にとっての良し悪しは別にして、それらは全て地球という惑星の上の自然という生命相の変化に過ぎず、そこに感傷的な思考を持ち込むのは無意味である。筆者が環境を保護することを提唱するのはそういうことのためではなく、純粋に、人類という種にとってそのほうが善いと考えるからである。

どんな生命も、それを含む環境と切り離して存在することも語ることもできない。人類がどんなに知性的で他のあらゆる地球生命と区別するべき特別な種であるとしても、それは変わらない。地球環境が太古から常に変動し続けてきたとはいえ、ヒトがこの地上に生まれてたかだか数十万年、長く見てもせいぜい二百万年。数億年に及ぶ地球の生命史の中ではごく短い期間に過ぎず、その間に起こった環境の変動も、直近の100年と言う一瞬の間に人類自身が引き起こしたものを除けば、殆ど変化はなかったと言ってよい。つまり現在地球上に人類が存在していることは、現にある(あるいはあった)自然環境の様態と深い関わりがあり、現在人類が地球上で隆盛している(ように見える)のは、その環境が人類に適していたからだと考えられるのである。

もちろん、環境の変化が結果的に人類に対して何をもたらすかを明確に予言することは、誰にもできない。それは人類にとってより善いものであるかもしれないし、悪いものであるかもしれないし、あるいはあまり影響がないかもしれない。しかしそれは、その変化が悪いものである可能性は常に存在するということであり、また同時に、現にある(あった)環境は、人類に適しているはずである。ならば悪戯に環境を改変する(あるいは変動を放置ないし助長する)ようなリスキーな行為を止め、これまで人類が存在してきた環境をなるべく小さい変動の中で存続させることを目指すべきではないか。

人間の智恵というものは確かに偉大で、しかしそれゆえに、その文明の環境への影響力も強大であり、地球環境の変動は、地球史上の極めて限定的な意味での現在において、恐らく過去決して多くない例に匹敵する速度で進んでいるように思われる。しかもそれらはほとんど全て、人類が望んでそうしたのではなく、単に別の何かを追求した結果として、思いがけずそのようになってしまったものである。逆に言えば、人類の智恵などというものは、少なくとも現時点ではその程度のものでしかないのだ。人智を超えた、という言葉があるように、この地球上で起きるどんな環境的な危機も、人類の智恵によって克服できるなどと考えるのは、根拠のない思い上がりではないだろうか。

2009/10/04


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